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確率について思うこと

(陽性判定後の記事です。
 不快に感じられる方はスルーでお願いします)


前回ほんとうにたくさんのコメントをいただきました。
とてもうれしかったです。どうもありがとうございます。

いただいたコメントの多くに、
「勇気」とか「希望」とかその類の言葉が多く見られました。
今日はそんな概念と関係ある(かもしれない)話を書こうかと。

ただ、長文なのと、
わたしの生い立ちに関する話になるので、
興味の無い方はスルーでお願いします。



わたしの今回の移植について、
KLCから下された総合評価別妊娠率は「D」でした。
「D」というのは、妊娠率が20~34%で、
5段階評価の下から2番目、確率は低い方です。

でも、移植当日のブログに書いた通り、
わたしはそのこと自体はあまり気にならなかった、
それには、過去の経験からのある理由がありました。

以前ブログで、
わたしは子どものころに癌になったことを書いたことがあります。

今は死亡率はぐっと減ったのですが、
わたしが発症した80年代、その特定の癌の生存率は
あまり高いものではありませんでした。

医師はわたしの両親に、
10年後の25歳までわたしが生存する確率は
50%だと伝えたそうです。

わたしは大がかりな手術を控えてしていましたが、
その手術を受けても10年後の生存率は50%、
そしてそこは旧帝大の付属病院だったのですが、
たとえ、アメリカで最新医療を受けてもその確率は変わらない、と。

数年後、その病院から自宅に電話がかかってきたそうで、
(他府県に引っ越ししていたため、経過観察は他の病院で受けていました)
直接その言葉ではなかったけれども、
それは、生存率調査のための消息確認の電話だったようです。

その時わたしは大学生で、
大学の交換留学でアメリカの大学に編入していました。
電話に出た母が、娘は元気で今は留学中だと告げると、
医師はとても驚き「奇跡の子です」と言ったそうです。

つまり、当初、親に伝えていた50%という確率は、
実はもっとずっと低いものだったのでしょう。
わたしは、一度別の臓器に転移もしていたので、
余計に、見込みがないと思われていたのかもしれません。

その後、わたしは帰国して就職し、
25歳になった時にはじめて親から、
実は、25まで生きる可能性が50%と医師から言われていたこと、
わたしの不在時に医師から電話があって、
留学しているなんて「奇跡」と言われたことを知らされました。

母は、
「あれから10年経って、
この病気が直接の原因で死亡することはないと言われたので教えてあげるね」
と。

もっと言うと、
わたしはその時に初めて自分の正式な病名を知らされました。
きっと医師と相談したのでしょう、まだ中学生だった私には、
聞いたことのない、似た病名が告げられていました。
抗がん剤で髪の毛が無くなってしまったり、
よく考えれば癌だと分かりそうなものです。

でも、当時わたしも医学書で調べたのですが、
医師のアイデアのその病名はそこそこ深刻なものだったし、
周りの演技のお陰で、すっかり信じきっていました。

この日以来、
わたしの中で「確率」に対する捉え方が変わりました。
良くも悪くも、99%と言われた時には逆の1%があって、
最終的にそのどちらに自分が入るかは結果が出るまで分からない。
自分の努力でなんとかなるならそのための努力はするけれど、
そういうのとは関係のないところで決まってしまうこともある。
そんな時に、確率に振り回されるのはなんだか意味のないことだなと。

また、病名をずっと知らなかったことからは、
「病は気から」は一理あるのかなと思うようになりました。
もし、15歳のわたしが、
あなたは「○○という癌で、あと10年生きる確率は50%です」
と告げられていたとしたら、
もしかしたら、メンタル的に参ってしまって、
今こうしていられなかったのではないかと思うのです。
知らなかったから、暢気にすごしていられた。
暢気にそごせていたからこそ、生き延びているのではと。
(余命○年、の場合は、告知したほうがよい場合もありますが)

まとまりのない文章ですが、こんな訳で、
確率にとらわれてネガティブになることはもったいないし、
いい精神状態を保った方が、いい結果に繋がりやすいのでは、
と考えるようになったのです。

ただ、メンタル頼みだけではなく、
もちろん健康な肉体を保つこと(そのための努力)も
同じくらい大切だなと考えています。

それにしても命の保証ができないとされていた期間に、
娘を遠くアメリカに送りだしてくれた両親、特に母、
(後日談では、反対する父を母があの子の人生のため、と説得したらしい)
なんかすごいなぁ、とあらためて感謝する今日この頃です。

 *     *     *

ところで、このブログですが、
不妊治療に関する内容をメインに記すために始めたもので、
今後の細かい経過や体調の変化については、
今のところ更新を予定していません。
更新が無い=順調とご理解ください。

無事KLCを卒業した日には、そのご報告をもって
このブログは終わりにしたいと考えています。

それまでの間は、
今回の記事のように、引き続き、
不妊治療について思うことや
治療のまとめについて更新するかもしれません。

もうしばらくの間、
こちらのカテゴリでお付き合いいただけるとうれしいです。

今後残念な結果になってしまった時には、
また戻ってくるかもしれませんが、
その時はそっと見守っていただけたらと。

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D24 BT7 判定日(KLCドミノ周期)

本日判定日。

採血後の待ち時間に、
すぐ近くの鬼子母神さまにお参りをし、
反対隣りのドトールで順番を待つ。

携帯の呼び出しメールが届いて病院に戻り、
名前を呼ばれ部屋に入ると、

先生の第一声は、

 usaさん、妊娠していますよ、おめでとう。

だった。

この日、陰性を覚悟していたので、
理解するまでちょっと時間がかかった。

採卵後に一旦上がった体温は移植後に下がり、
36.6度前半の低空飛行を続けていたから、
今回は厳しいなと内心思っていたのです。

ホルモン値のシールを見ると、

 β-HCG:56.4 / P4:↑35.6 / E2:197

値はまずまずとのことで、
お薬(デュファストン)も今後は無し、
「第一関門突破ね」と、
普段はあまり笑わない某先生が珍しく笑顔だった。

病院から帰って数時間たった今でも、
正直まだ実感がわかないけれど、
ただ、とてもほっとしている。

そしてやっぱり、
あの時も、あの時も、諦めなくて良かった、
そんな思いでいっぱいです。

まだまだこの先にあるたくさんの関門。
流産経験があるので手放しで喜べないけれど、
あまり心配せずリラックスして過ごしていこう。

まずは、大きく前進できました。

これまで応援してくださった方、
親身になってアドバイスくださった方、
どうもありがとう。

そして、
AMH1.8でも、
カウフマンで(?)FSHが一旦は90に跳ね上がっても、
その後のFSH20越えの周期からの採卵でも、
5日目ではなく6日目胚盤胞でも、(※)
KLC総合評価が「D」判定でも、
移植後に体温が下がって低空飛行でも、
陽性まではこぎつけたいう例が、
同じ状況でいる誰かのストレスを和らげられたらと。
(一応、生活習慣の改善・運動など自分でできる努力はしました)

※同じ発育段階下での凍結胚盤胞ならば、
 5日目も6日目も治療成績には大きな違いは見られないとの
 研究結果があるようです。(⇒参考URL

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D19 胚盤胞凍結確認

先ほど、
移植前に採卵した卵の胚盤胞凍結確認で
KLCに電話をした。

薬ナシの完全自然周期で採れた成熟卵は2つ。

主席卵胞からとれた方はふりかけで、
もうひとつの小さい卵胞から採れた方は顕微。

結果、
チビ卵胞から採れた顕微をした方の卵が胚盤胞まで育ち、
6日目胚盤胞だけど、凍結ができたとのこと。
主席卵胞から採れたのんびり屋さんは残念ながら、
途中で分割がストップしてしまった。

小さい卵胞から採れる卵はあまり質がよくないのかと、
まさか、このチビちゃんからの卵が胚盤胞になるなんて、
正直なことを言うと、あまり期待していなかった。
(ごめんよ、ちゃんと成熟卵だったのにね。)
主席卵胞も受精までも時間がかかり分割も遅かったから、
内心、今周期の凍結は難しいなと思っていた。

だから、凍結できたと聞いて、
ものすごく、嬉しかった。

そういえば、今回の小さい卵胞はチョコ嚢腫の奥の方にあって、
先生がわたしのお腹を上から何度も手で圧迫しながら採ってくれたんだ。
それでいつもより出血もあったけれど、
この貴重な卵をちゃんと採卵してくれた先生にも感謝です。

それにしても、
低刺激(クロミッドのみ、またはクロミッド+FSH)でも
成熟卵が採れなかったり、採れても胚盤胞にならなかったのに、
ダメもとで試した薬ナシの完全自然周期で、
2周期連続で胚盤胞凍結できるなんて。

JISART系のクリニックで検査したAMHが1.8で、
ドクターからは厳しいと言われ本当に落ち込んだけれど、
AMHが低いからといって卵が採れないわけではなく、
採れる数が少ないだけ。
少ないながらも、中には胚盤胞になる卵がまだある。
あの時、治療を諦めないで本当によかった。
生活習慣を見直して代謝を上げる努力を続けてよかった。

今はお腹の中で先輩が頑張っているから、
チビちゃんは先輩のことを一緒に応援してね。
チビちゃんがいてくれると、すごく心強いよ。
がんばってくれてありがとう。


引き続き、リラックスして過ごします。

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プロフィール

usα

Author:usα
結婚3年目の40才、
2009年転勤先の大阪でKLC系列クリニックにて治療開始、2010年東京に戻りKLCへ。一時期、JISARTメンバーのクリニックに転院しましたが、2011年5月またKLCに戻りました。
2011年7月、陽性判定をいただきました。
不妊治療履歴と費用はこちら
  last update 2011.7.29

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通称はKLC


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